こんにちは!
この写真は先日お寺のヨガに行った時に撮ったものです。
冬はまだまだこれから。
でも、よく見たらもしかしたら春はもうすぐそこまで来ているのではないか?と思いました。
始まったと思ったらもう終わり。
月日が経つのはあっと言う間なので、何となく過ごしていると、気づくと何もせぬまま歳を取ってたということになりそうです。
なりたい自分より「なりたくない自分」が明確になるといいのかも
今年は丙午(ひのえうま)の年で、60年に一度巡って来る「情熱や強さを象徴する特別な年」だそうですが、そう聞くと情熱なんて今更そんなのないし~、と思うかもしれませんが、例えば
・こんな自分で在りたい
・こんなふうに歳を取りたい
があるならば、それを叶えるために今何が出来るか?を探して実行していく。
そんな一年にしてみてはどうでしょうか?
と公式LINEの新年のご挨拶で書いたのですが、「こんな自分で在りたい」「こんなふうに歳を取りたい」って考えること自体難しい人もいるのかもなぁ~と思いました。
もしかしたら、
「こんなふうに歳を取りたくない」
「こうはなりたくない」
と考えたら在りたい自分が明確になるかもしれません。
私自身、こんな風に歳を取りたいというのはあるのですが、そもそもそれって「こうはなりたくない」があっての「こうでありたい」なんですね。
私の母親は、現在78歳で元気にしています。
コレステロールや骨密度を上げる(低下を抑える?)薬を飲んではいますが、特別病気という病気はしていません。
昔から、緊張しやすく気を遣いすぎるところはあるけれど、家族には言いたいことははっきり言うし、70歳を過ぎてから初めて受けた胃カメラでは「キレイですよ。問題なし」と言われたそうで、あんなに気ばっかり遣ってるのになんで胃きれいなん?と不思議に思ったくらいでした。
外で気を遣う分家で言いたいことが言えてるんでしょうね。
そんな母親は、緊張しやすいこともあり若い時はパートに出ていましたが、面接の際など「書類に書く」となると緊張で手が震えて上手く書けないのが嫌でそれ以来仕事をしなくなりました。
親戚の家に行くと決まると、相手に気を遣わせるのが嫌だからお昼ご飯は自分たちで食べてから行くことにする、などせっかくだから一緒に食べたらいいやん、と言っても「あかんあかん、店決めたり面倒をかけるからあかん」と絶対に譲りません。
そして昔風邪をひいて耳の調子が悪くなった時に、ちゃんと病院に行って診てもらわなかったのもあり耳の機能が落ち、耳鳴りがして聴力も落ちてしまったので、大勢の人との集まりは相手の声が聞きとれないので行きたがりません。
なので友達との交流もすごく少ないです。
こういったことを見てきているので、母親が悪い、とかそういうことではなくて自然と私の中で私はこう在りたいな、というのが見えてきました。
些細なことではあるんですが、働けるうちはずっと働いていたいと思います。
外部との関りはあった方が、刺激になるし毎日お化粧をして身だしなみを整えて出かけるとメリハリがつくと思うからです。
自分で使えるお金もあった方が嬉しいです。
そして気遣いは必要。
でも、相手に甘えることも気遣いだと思っています。
確かに相手にお昼ご飯のことを考えさせるのは申し訳ないかもしれないけど、久しぶりに会って一緒に美味しいご飯を食べられるならそれのほうがよっぽど嬉しいし、相手もきっと喜んでくれると思います。
耳鳴りは大変な思いをしていると思います。
寝ても覚めても耳の奥で音がしていて、自分の声が頭の中で響いてちゃんと聞こえないそうです。
見た目では分からないので、曖昧に聞き流している姿を見ると周りはついイライラしてしまうのですが、きっと苦労しているはず。
母親の耳が少しでも良くなったらいいな、治らないにしても少しでも耳のことを忘れられる時間が増えたらいいな、と心から願っています。
そして私も同じことにならないように、身体のケアをちゃんとして気を付けなきゃ、と思うところです。
こう考えると私だったらこうしたい、こうなりたいというのが見えてくるかもしれません。